もう、この声も届かないのか。自分を見分けても下さらぬのか。哀しき傀儡、闇の者を呼び招くための“寄り代”と、このままなり果ててしまわれるのか。
「どうして…。」
選りにも選って、どうしてこの人でなければならぬのか。誠実で不器用で、実直で純朴で。強い心と優しい気立てと。何も知らぬままの純白無垢なところが、それ故の真っ直ぐな気丈さになったと同時、困惑や戸惑いに心揺らしてしまわれることもあったりし。それでも怯むことなく、真っ直ぐであることを貫いて来た方が、どうして…。
「…っ。〜〜〜っ!」
今のセナに確実に使える咒の中で、最も拘束力の強いもの。大地のどこかに呼びかけて、健やかなその蔓を助けとして呼ぶこと。不意に足元から、堅い岩盤を物もしないで顔を出した植物の蔓は、そのまま何かしらの生き物の触手を思わせるようななめらかな動きで、セナの求めに応じ、雄々しき騎士の肢体を搦め捕って封じた。こうでもしないと、非力な自分では到底 敵いはしないだろうから。
「〜〜〜っ!!」
今も、侭にならない四肢を、それでも何とか解放させんと。表情はさして動かないままながらも、太々とした何本もの蔓に搦め捕られた腕や脚、引き千切ろうとしてか、力を込めてはもがき続けている彼だから。そこへと咒の炎でも思いついてしまったなら、あっと言う間に振りほどかれる。今をおいて好機はなくて…。
“…進さん。”
この人を滅ぼすことを“好機”と数える自分が苦しい。だが、今を逃せば取り返しがつかなくなるのも事実。滅びを司る“闇の眷属”の殻器などにされてしまっては、その身がどれほど穢れることか。セナの悲痛な表情にも気づかぬまま、何としてでも蔓を引き千切ろうとする騎士殿へ、
――― 進さんっっ!!!
逃げないと誓った。覚悟を決めたと約束したから。だからこそ、封咒への念じは解かないままでいた。聖剣を握ったその手を、どんなに重くとも、どんなに嫌な衝撃を得ようとも、ずっと絶対離さずにいようと思った。両手でその柄を握りしめ、腹の上で固定した聖剣。四肢の自由が利かないその身へ目がけ、飛び込むように駆け寄ったセナの身が、ぴったりと密着するように進の懐ろへと伏せられる。その手が支えた剣の切っ先は…確かに何かに当たったし、そのままどこまでも深々と押し込まれていった。
「つ…っ。」
その感触から逃げずに、全て拾ったその手が今、灼けるように熱いのはきっと。大切な人に敵意を持った、こんな仕打ちを授けた、それを嘆いている…未だ弱かった心の痛みのせいだろう。哀しくて哀しくて、胸が痛い。心折れてはいけないと、少しでも隙があれば、容易く手折られようからと。唇を噛みしめて、嗚咽も涙も堪えた上で。胸が張り裂けそうに痛いのも、喉の奥が腫れたように熱いのも。必死で飲み込み振り切って、ただただ相手へと体ごと攻勢を押しつけ続けている。ああこんな間近にいるのに。ずっと遠かった人、逢えなかった人。それがこうまで間近にいるのに、これがそのままお別れになってしまうのか。
“…進さん。”
気を散らせばそのまま、呆気なくもねじ伏せられると、だから集中しろと自分に言い聞かせているのだけれど。久方ぶりに飛び込んだこの人の懐ろは、やっぱり温かくて…いい匂いもして。
“………。”
こうまでくっつく機会はそうそうなかったけれど、マントの陰にて冷たい風から庇ってくれた時などは、大きな手のひらが、いつもこうして髪を梳いてくれた。最初は何故だか おっかながってのように怯みがちに、ふわりと触れるだけだったものが。長い長い冬の間には、少しずつ加減を覚えて下さって。指先を差し込むようにして梳いて下さるようになったの、遠慮が薄れたみたいでとっても嬉しくて大好きだった。たまにのことだからご褒美みたいで、それでと甘えて“もっと”なんて目顔で せがんだりもしたものだったっけ。
“…そうだった、こんな風に。”
いつの間にやら、うっとりと甘やかな気持ちになっていて。ふと。見下ろした足元には、小さな仔猫の姿へ戻った聖鳥さんもいて。…あれ? でも、カメちゃんは確か、白いライオンの姿のままでいなかったか? 大きな怪我を負ってはいなかったか? まさか…傷が重くて命を落としてしまった彼なのか。だったら自分も…? いつの間にか…痛いとも怖いとも感じぬほどの瞬剣で、命を摘まれてしまったのかな。こんなに幸せな空気に包まれているのは、天へと召される途中だからなの? だったら…でもでも………。
“……………もういいや。”
どっこも痛くはないけれど、もうもういいや。蛭魔さんや葉柱さん、多大なるご尽力をそそいで下さりし皆様からは、何をあっさり諦めているかと、思い切り叱られそうだなとも思ったけれど。………もういいよね? ボクでは歯が立たなかったの。心が散り散りに砕けるほど頑張りましたが、ダメでした。もう進さんにも逢えないのが、一番辛いことだけれど。闇の眷属に呪われた身となって憑かれてしまわれるの、防いで差し上げられなかったのがひどく心残りなことだったけれど。涙が涸れちゃったほど泣いたその後で、本当に覚悟を固めて、それからね。大好きな進さんへ向けて、それ以上の暴挙はないこと、剣を突き立てるなんて恩知らずなことを、この手でやり果おおせてしまったのだもの。死んだ後までそんな形で罰が当たっても仕方がない。
「………セナ様。」
優しいお声がする。凄いなあ、出来るだけ悔いが残らないようにって、至れり尽くせりなんだ。魂の欠片だって地上に残ってちゃあ、闇の者には困るからかな? 頬をくっつけてるお胸。ああ、なんか堅いのが邪魔っけだ。鎧の代わりのプレートを、胸の急所を守るのにって提げておいでだったっけ。これも退けてくれないかしら。お顔を少しだけ持ち上げて、上目遣いになって見上げたら………。
「セナ様。」
――― え?
お顔、違う。何かが、違う。
さっきまでと、何かが違う。何だろ。何かが違うの。
口許がやさしいの。笑ってらっしゃるの。
背中に回された手が暖かくて、あ、封咒も解けちゃったんだ。
野ばらの蔓だったみたいで、痛かったでしょう? ごめんなさい。
髪を撫でて下さるのが、やっぱり暖かい。
「………進さん?」
呼んでみたら。
「はい。」
答えて下さった。
「進さん。」
「はい。」
「進さん、あのあの…。」
「なんですか?」
何でだろ。進さん、どこかが痛いのかしら。優しいお声がかすかに震えてる。じっと見上げていると、頭の後ろへ大きな手が添えられて、そのままふわりと掻い込まれた。お顔が見えなくなったので、
「…進さん?」
どうされましたかと訊こうとしたら、
「すみません…。」
小さな小さな声がした。何度も何度も同じ声。すみませんでしたと、何度も何度も。時々聞こえなくなっては、息を飲み込む気配があって。
「進さ…ひゃあっっ!」
何かがぴょいって脚へと飛びついて来て。それがあまりに突然だったから、ひゃあって飛び上がりそうになったら、あのね? 小さな仔猫のカメちゃんが、爪を器用に引っかけながら、二人の懐ろのところまで登って来てね。セナの頬をしきりと舐めてから、セナの小さな肩のところに添えられてあった、進さんの手のひらも、甘えかかるようにぺろぺろって舐めている。柔らかで暖かい、少し濡れてる感触が、ああ、今朝方ベッドで同じようにして起こしてくれたのと同じだなぁってぼんやりと思い出せて。
それって………。
あれ? それって………?
「…………………進、さん?」
「…はい。」
「…………………進さん。」
眸の奥が熱い。涙が。重たげなほどの大きさの滴になって、一気にあふれ出てくるのが自分でも判る。頼もしくて暖かなお胸。大きくてやさしい手。頬へと直に響く、深みのあるお声。
――― セナ様。
何か仰っているのによく聞き取れない。気がつくと、小さな子供みたいに“うわああぁんっ”て大声を張り上げて泣いてたボクだったから。それもあって困ってらしたみたいで、でもあのね? ぎゅううってしがみついてたセナのこと、もう離さないでって泣いてたセナのこと、進さんの方からもしっかり抱きしめてて下さって。
――― ご心配をおかけしました。
ああ、いけない。お帰りなさいって、言えば良かったんだって。そうと気づいたのは随分と後になってからで。その時はただただ、進さんとばかり連呼するしか出来なくて。そして、
「………今日びの闇の咒は何か? 泣き落としで解咒出来るのか?」
「さぁな。」
結構な痛い想いもたんと浴びた、それぞれなりの修羅場を掻いくぐり、まだ見ぬ先にて鳴り響いた不穏な気配へ、心胆さむからしめたその上で。やっとのことで辿り着いたところでは…ああまで手古摺ったことが何とも呆気なく決着を見せての、とんでもない図が展開されていたものだからか。目許を眇めて呆れたような言いようをした蛭魔さんへ、葉柱さんが何とも言えぬと苦笑を返したものの。勿論、単なる軽口ではなくて、
「…付け焼き刃の“やっとぉ”が、少しは物の役に立ったらしいぞ。」
「ああ。」
剣士なら魂でもある筈の、聖なる剣が2人の足元には落ちていて。そんなところから、何かしら…壮絶な葛藤なり苦衷なりがあってのちの愁嘆場だと、ちゃんと見抜いていらしてのこと。そんな二人が見やった先には、セナの腰から外れたらしき、あの水晶の聖剣の青い鞘が。薄暗がりの中、それでもシャープな輪郭を濡らしてその存在を示していたのだが、
――― え?
それが不意に淡い光を放ち始めた。何の気配も帯びぬままながら、それでもふわりと浮き上がり、えくえくと泣きじゃくるセナの身へ向かって宙をゆくと、触れた端から…あまりに脆い、砂か砂糖で作ってあったかの如くに、その姿を崩し去ってしまう。
「…え?」
それと入れ替わるかのように。ひしと抱き合ってた主従二人のその狭間、何かがほわりと光を放って。後からセナが言うことには、そういえば…自分がずっと離さないで握っていたはずの聖剣の本身の方が、いつの間にかどこにもなくなっていたのだそうで。
『進さんを傷つけてなくって本当に良かった』
などと、惚気としか聞こえない“おまけ”の方は聞かなかったことにした皆様だったりしたのだが。(苦笑) そんな格好で行方を一旦晦ました、アクア・クリスタルの御加護を抱いた、セナ皇子のための水晶の聖剣は。護るもの・護る人を絶対に間違えないといいう、ずば抜けた奇跡を再び見せてくれ、
「それって…。」
健気な皇子の一途な愛のおかげで、闇の傀儡に堕ちるところだったのを救われた騎士様の左の腕の中ほどへ。銀色の鋼の上へ青を基調にした浮彫が見事で、冴えた月光のように美しい、さっきの鞘のモチーフそのままの、コンパクトだががっつり厚みのある、装着型の盾が現れて。
「…あれってのは、進への新しい装備ってことかね。」
すっかりと当人の意思というものを取り戻せているのなら、武装は進の側が総てを引き受けたほうが良いに決まってはいるのだが。それがこの場にて形を取ったということは…。
「…まだ続きがあるぞってことだろな。」
忌ま忌ましそうに、その鋭い目許を尚のこと尖らせた蛭魔の睨んだ先。赤々とした光を放ったまま、無造作に転がされてた、あの不吉な砂時計が…音もなく宙へと浮かんでいたから。そして………。
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*いきなり長い段落ですみません。
ぐりぐりと書いてるうちに
何だか、どこで切ればいいのか判らなくなってしまいまして。
後日に編集しなおすかもですね、こりゃ。(こらこら) |